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南八ヶ岳 硫黄岳・赤岳(2006/12)

【日程】2006/12/29-31
【山域】八ヶ岳
【参加者】Nob・m3nb・富士丸・シル
【記載者】シル



■12/29(金)
11:25 美濃戸口の駐車場に車を駐め、Nobさん, 富士丸さん, シル, m3nbさんの隊列で出発する。

12:15 赤岳山荘で昼食を食べた後、赤岳鉱泉に向け行動開始。

はっきりと付けられたトレースは雪が締まっていて、踏み込むとキュッキュッと音がした。

雪化粧された山は、木々の枝や川辺の岩までもが綺麗に見える。


「もっと先に撮影ポイントがあるから先を急げ」と先輩に云われながらも、どうしてもそれらを写真に収めたくて足が止まってしまった。

15:00 赤岳鉱泉に到着する。アイスクライミングのために作られた氷の建造物が大同心よりも印象的だった。

■12/30(土)

07:25 マイナス12℃の朝。昨日と同じ隊列で赤岳鉱泉を出発する。

樹林帯で足下だけを見て歩くと、木々の枝がボクの顔を思いがけず叩くので困る。

足下と前方を交互に注意を払いながら歩き、樹林帯を早く抜けることを願った。


09:00 稜線に出る。マイナス20℃の強風は、目出帽を被っていても激しく頬を冷やす。

僕は、この強風は当初は心地良くもあった。

とても人間を歓迎している風だとは思えなかったけれど、赤岩の頭付近では、このままずっと歩いていたいと感じた。

しかし、その後、硫黄岳への登りに差し掛かると、強風が耐風姿勢をとらなければならないような暴風に変わり始め、山の様相は豹変し、風の勢いに恐れを感じて赤岩の頭へ引き返す単独登山者もいた。


09:45 硫黄岳山頂。横岳へ続く痩せた稜線が白い世界に伸びていた。

本来ならば"あの山の向こう""この稜線の先"そんな風に「先が気になる景色」が僕は好きだ。

しかし、山頂周辺は暴風域と化し、気が付くと仲間の顔に凍傷の症状が生じていて、悠長な事を言っている状態では無い。

記念撮影をした後、リーダーNobさんの判断で、速やかに下山を開始した。


10:15 日だまりの中で休憩。

見上げれば風はまだ強いけれど、稜線から少し降りたこの場所は稜線上の強風が嘘のように暖かい。

稜線の雪を吹き飛ばす風を良く見てみると、小さな渦がいくつも集まっていることがわかる。

その渦たちは雪の結晶を規則的に交差させていて、全体として綺麗な格子模様を描いている。感動した。


11:15 赤岳鉱泉に到着。

テン場に穏やかな時間が流れている。

陽光を浴びて乾いたフライシートを見ていると心身が暖まってくる。

■12/31(日)
07:00 赤岳鉱泉を行者小屋に向けて出発する。気温はマイナス5℃。昨日に比べ7℃も暖かい。今日の隊列は、Nobさん, 富士丸さん, シルの3名だ。足取りは軽く、07:35に行者小屋に到着した。遙か遠くに北アルプスの峰々が、朝日を浴びてピンクに染まっていた。

08:20 文三郎尾根を登る。行者小屋を過ぎてから、比較的早く樹林帯を抜けたように感じる。

右後背に北アルプスを感じ、右前方に阿弥陀岳を見ながらの急登は気持ち良かった。

Nobさんのペースメイクのおかげで息も切れずに心地よく登ることができた。

09:25 良い天気に恵まれた赤岳の山頂に到着する。

富士山や北アルプスもはっきり見える。大キレットを目印に左右の山を知ることができた。

富士丸さんが鹿島槍を指差して説明してくれたが、どのトンガリがそれなのかわからなかった。

遠くに見える山の名前を言えるようになりたい。

10:25 赤岳の良い姿を写真に収めるため、横岳へ向かう途中まで歩いた。

稜線の雪は、細かい砂のようにさらさらとしていた。

10:50 地蔵尾根を降りる。

腹まで雪に埋もれたお地蔵様に手を合わせて家族の幸せと無事の山行を祈った。

地蔵尾根はまるで空を歩いて地に降りていくような気分になった。楽しい時間だった。


11:30 行者小屋を通過する。

11:45 行者小屋と赤岳鉱泉を結ぶルートの途中に中山展望台へ出る横道がある。

中山展望台は、赤岩の頭から阿弥陀岳までを一望できる場所だ。

ここで最後の記念撮影をして赤岳鉱泉へ急いだ。

12:10 赤岳鉱泉に到着。m3nbさんがボクらを出迎えてくれたことがとても暖かく感じられ、肩からザックの重さではない何かがふっと消えた。談話室でm3nbさんが入れてくれたお茶が美味しかった。

13:35 美濃戸口に向けて赤岳鉱泉を出発した。

初日同様、Nobさん, 富士丸さん, シル, m3nbさんの隊列だ。

足取りは軽く14:10に美濃戸山荘に到着した。

お茶と漬け物をいただき最後の休憩を取った。

15:00 美濃戸口に到着。無事に下山できたことを幸せに思う。


【32年振りの冬山登山(八ヶ岳)】


昨年の11月15日(水)にm3nbさんに水道橋の登山道具店にて冬山用品(プラブーツ・アイゼン・・・等)を見繕って戴いて購入しました。

その後、アイゼンを着けてのトレーニングを次の様に4回ほど行って今回の冬山登山を行いました。

1) 11/18(土)・・・天覧山岩場
2) 12/02(土)・・・天覧山岩場
3) 12/17(日)・・・谷川岳.天神尾根
4) 12/23(土)・・・八ヶ岳.蓼科山

今回の冬山登山については最初の目的の主稜縦走(硫黄岳~赤岳)は強風のために、硫黄岳往復と計画通りには行けませんでしたが久方ぶりに烈風吹きすさぶ冬山に接することが出来て厳しい中にも満足するものでした。

最終日は赤岳鉱泉より行者小屋・文三郎尾根経由にて赤岳に立ち、横岳の途中までより引き返し(予定通りの引き返し)地蔵尾根を下りました。

前日とは異なり天候も良く富士山・南アルプス・北アルプス・・・等の大パノラマを堪能することが出来てこれ又大いに満足するものでした。

加えて中山の展望台よりの八ヶ岳西面の白銀に輝く眺望は涙が出そうになる程の感激ものでした。

又、2泊した赤岳鉱泉では個室と言うこともあり少々のお酒を嗜みながら男同士で腹を割った諸々の話しで盛り上がり久々に腹を抱えて大笑いの楽しい一時でした。

前述の冬山装備ですが「コフラックのプラブーツ」・「グリベルのワンタッチアイゼン」・・・等々と快適の一語に尽きる素晴らしいものでした。

只、初めてのロングスパッツは前部のジッパーが万が一壊れた時はどうなのかなあと一寸思いました。
ワンタッチアイゼンは装着が無理でしょうが昔ながらのオーバーシューズ(紐での締め上げ式)の方が安心なのかとも思いました。

今シーズン(GWまで)はこの快適な冬山道具を駆使して精力的に登山が出来ればと思っています。冬山道具が多用で悲鳴を上げる前に衰えた体と財布の中味が悲鳴を上げるかもしれませんが・・・。

何れにせよ32年振り(27歳の時の北九州の仲間11人での槍ヶ岳集中(硫黄尾根、穂高稜線、東鎌尾根)以来)のこの八ヶ岳での冬山登山は感謝.感謝の大満足の行くものでした。

(記 富士丸)


【お詫びと反省】

12月16-17日の谷川岳・西黒尾根を終えて2~3日経った頃、風邪の初期症状を感じ、慌てて病院に急ぎ、処方された薬を飲みながら体力温存を最優先して年末山行迄の完治を目指しました。

年末山行出発当日、完璧に完治したと言える状況ではありませんでしたが、咳は出るものの殆ど治っていると思えましたし、リーダーに続いて自分までも不参加しては他のメンバーに申し訳無いとの気負いから、後は気力で頑張ろう!と集合場所に向かいました。

しかし、その無理が結果的に山行スケジュールを大幅に変える事になってしまい、他のメンバーに迷惑をかけてしまった事を、この場を借りて深く反省し、メンバー全員にお詫び申し上げたいと思います。

入山日、岳樺クラブに入会する前から何度も何度も歩き、熟知している赤岳鉱泉までの楽な道程で息が上がり、皆のペースに付いていけず、今まで経験した事の無い辛い気持ちを味わいました。

2日目の硫黄岳までの比較的楽な道程でも息があがり、前を行くメンバーとの距離が空き、皆のペースに付いて行くのがやっと。その後、赤岩の頭より硫黄岳を目指す時点で足が上がらず、気象状況の悪化に伴い呼吸困難を起こし軽いパニック状態に陥る始末でした。

自分では西黒尾根山行後の約10日間、全く動かず殆ど寝たきりで安静にしていた為の単なるトレーニング不足の症状だと思い、それはそれで大きなショックであり、尚且つ、皆に対して迷惑をかけている自分自身が実に情けなく本当に辛かったです。

3日目の赤岳登頂は自分から辞退して宿にて半日休ませて貰い、メンバーの下山を待って美濃戸口へ向かい、その後、本当に完治してしまったかの如く普通にクルマの運転を担当して集合場所に戻り、元気でメンバーと挨拶を交わし解散しました。

しかし、元旦より内耳炎を併発し、悪寒発熱に悩まされながら三が日を過ごし、改めて病院にて診察を受ける始末・・・そして現在も咳が止まらず、内耳炎の影響から殆ど聴力が無い状態で、せっかくシルさんが早めの山行記録原稿を送ってくれたにも関わらず、本日まで山行記録掲載作業が遅れてしまい、この件でも迷惑をかけてしまいました。

自分で治ったと大きな勘違いをし、その実、非常に危険な状態で大事な仲間と山で行動をしていた事を本当に恥ずかしく思い、より大きな迷惑をかけなかった事に多少の安堵を感じながらも色々な気持ちで猛省をしています。

今後は今まで以上に体調管理に注意をし、本当の意味でメンバーに迷惑をかける事がどういう事なのか?と言う事を冷静に考え、少しでも体調不調の場合は出来るだけ早く不参加を申し出る勇気を持てるようになりたいと思います。

今回は単なる体調不調で済みましたが、日常生活での体調不調も山では大きな事故に繋がる事も容易に想像出来る事を真摯に反省し、最後に改めてメンバー全員にお詫びを申し上げたいと思います。

最後に今回の一件を猛省し、健康管理と体調維持トレーニングを継続し、3月以降に予定しているNobさんとの何本かのバリエーション登攀を無事行えるように頑張る所存です。

Nobさん宜しくお願いします。

(記 m3nb)


【年末登山をふり返って】


出発前の計画概要は以下のとおりだった。

29日 入山

30日 一般ルート隊・・・・硫黄岳~赤岳縦走
    バリエーション隊・・赤岳主稜登攀

31日 一般ルート隊・・・・阿弥陀岳(一般ルートから)
     バリエーション隊・・阿弥陀岳北稜登攀、一般ルート隊と合流後御小屋尾根を経て美濃戸口へ下山


しかし、実際には、
30日 硫黄岳~赤岳縦走(低温地吹雪のため硫黄岳で引き返す。)
31日 赤岳登頂後、美濃戸口へ下山

という結果に終わってしまった。

原因はいろいろと考えられるが、最大の要因は、出発までの各人の健康管理の失敗ではなかっただろうか。

出発直前にリーダーが風邪でキャンセルし、山行中にサブリーダーが同じく山行前からひいていた風邪の為に体調不調にて行動を見合わせざるを得なかった。このため、当初予定していた山行内容はほとんど実現できなくなってしまった。

年末はどうしても仕事内容がタイトになり、自己の健康管理が難しくなる。特に50,60歳代ともなればタイトな日程に加えて防衛体力や免疫力の低下も避けられず、山行計画にあたってはそういう部分でのフォローも必要になってくるようである。自分自身も風邪をひきやすい体質であり決して他人事ではない。

また、12月30日は稜線でマイナス18度という低温下での行動を余儀なくされた。加えて、耐風姿勢をとる場面もあるほどの強風が吹き、体感気温はおそらくマイナス30度程度になったものと思われるが、メンバーのうち3名が顔面に軽度の凍傷を負ってしまった。目出帽(又はバラクラバ)を引き上げて対処したものの、ほんの少しの顔のすき間がやられてしまった。(症状はごく軽度)もう少し丁寧に対応していれば防げたものだけに、初歩的なミスと言わざるを得ない。

いろいろと反省すべき点も多かった山行であったが、冬の八ヶ岳が初めての富士丸さん、シルさんに厳冬期八ヶ岳の魅力を十分に体感してもらえたことは今後の会活動にとって大きな収穫だった。

現在は諸事情により新会員の入会は全てお断りしているが、今後、新しい会員を迎え入れる時期を再び迎えた際、技術・経験の伝承は会の大切な任務である。

今回登れなかった西面のバリエーションルートは、日照時間が増し寒気の緩む3月から4月初めの時期にリトライしよう。

(記 Nob)


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