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爺ヶ岳・東尾根事故状況報告

【事故発生地】爺ヶ岳東尾根末端1500~1550m付近



5月1日 晴れ
信濃大町鹿島の狩野氏宅裏の「鹿島のオババ」の碑に無事を祈って東尾根の急登を行く。3年前(2001年5月)に訪れた時よりずっと雪が少なく赤布を探し探ししてのヤブコギに終始する。

1600mを越える頃からようやく雪上を歩行するようになった。この日はジャンクションピーク(JP=1766m)を越えてP3(1978m)付近に幕営する。一日無風快晴であった。

(タイム)
登山口(06:10)・・・1500m(08:10)・・・1600m(09:45)・・・ジャンクションピーク(10:45)・・・1920m(12:00)・・・テント設営(12:30/16:30消灯)

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5月2日 晴れ
午前3時40分、アイゼンをつけてベースを出発。P1のナイフリッジは殆ど雪が消えてしまっていて、ブッシュと灌木登りであった。

夜明け頃より風が出てきたので矢沢の頭(2411m)でカッパのズボンを履く。矢沢の頭から大雪原を登り切ると爺ヶ岳中央峰に着く。

風は多少あるものの元気もイッパイで鹿島槍に向けて歩き出した。少し歩いたところで、夏道が完全に出ているのでアイゼンを脱ぐ。

冷池山荘は改築工事中で建築の音が響いていた。暫くは腐った雪の上を行くが、殆ど夏道に終始する。

布引岳を登る頃より風が間断なく吹き付けるようになったが、登山に影響が出るような風ではない。布引岳を越えて午前11時15分鹿島槍に到着。風と疲れも出てきて寒くなったので、11時30分に頂上を後にする。

冷池山荘には12時40分に到着した。既に9時間の行動をしているので疲れが出てきた。山荘で確認したところ種池山荘は営業中とのことであった。

爺ヶ岳を越えて東尾根のテントに帰るか、種池山荘で宿泊してから、翌日テントを撤収するか、を検討したが、疲労の中、P1を越えてテントに帰るのは危ない、と思い種池山荘に宿泊する事とした。お陰で身体を休める事が出来た。

(タイム)
幕営地出発(03:40)・・・ご来光(04:45)・・・矢沢ノ頭(06:45)・・・爺ヶ岳頂上(07:15~35)・・・冷池小屋(08:45~09:30)・・・鹿島槍頂上(11:12~30)・・・冷池小屋(12:40~13:20)・・・赤岩分岐(14:00)・・・種池山荘(16:00)

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5月3日 晴れ後曇り
種池山荘でゆっくりしたので、睡眠と食事がよくとれて、疲れも殆どなくなったように快調である。連日の快晴もさすがに下り模様で剱岳には雲が掛かり始めた。爺ヶ岳の南峰に登りついてから中央峰まで行き、往路で建てた赤布を回収しながら下る。

矢沢の頭付近の大雪原もバッサバッサとつぼ足のまま下る。昨日登った鹿島槍も雲に隠れて姿を見せなくなってしまった。

P1からP2への下りのナイフリッジも灌木と雪稜の繰り返しである。ポツンと我らのテントが見えた。

爺ヶ岳から鹿島槍の稜線は雲が湧いて時折雲の切れ間から姿が見えるだけである。テントを撤収して、ユックリと下り始める。腐った雪上歩きなのでアイゼンは付けなかったし、またその必要も感じなかった。

雪解けが進んでいて、微かに踏み跡が残っているのみである。1776mのジャンクションピークを過ぎて1600m付近の少し平らになっているところで休憩する。まだ時間もお昼前だ。大木の遥か上のほうに赤布を見つけて、随分と高い所に赤布があるネなどと話し合っていた。このまま下れれば、今日中には自宅に帰れそうだ。

踏み跡はほとんど消えていて、藪と灌木の尾根に雪面がずっと並行していて、雪面を降りたり、灌木に掴まっておりたりの繰り返しであった。

登ってくるときの記憶では、1600mくらいから雪の上を歩くようになった、それまでは、雪とブッシュの繰り返しであったと記憶している。下りの場合には、雪面をトラバースとなるので、腐った雪ではととも気持ちが悪い。

高度計では、既に1500mを下っているのにまだ雪面が続いている。慎重に選びながら下る。踏み跡は完全に消えてしまっている。

1450m~1500m付近にさしかかり一箇所、雪面を下るか、藪に入るか躊躇した。雪面はまだ急斜面で左側(東側)に落ちている。藪に入ったほうが安全に思えて、藪に入った。

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少し下ると、下が切れていて、尾根ではない事が判った。左側を見ると、直ぐに尾根が見えたので、トラバースをすれば、尾根に戻れることがわかった。後続の二人には、ヤブコギで苦しいけど、がんばって、と声をかけて、トラバースをはじめようとした瞬間濡れた熊笹に足を取られ、滑って落ちてしまった。

斜度は35度くらいか、上部は太い灌木帯、下は疎林である。

30mくらい落ちただろうか、落ちながら、アチコチ身体にぶつかっているのがわかり、手か足かどこか骨折でもしたか、と思った。斜面の途中で止まり、体勢を整えると、顔の左側がぬるぬるするので手を当てると、額の上が切れていて血がでていたので、ペットボトルの水で頭を洗った。

ザックを背負いなおし、ピッケルを拾っていると、T嬢がロープで降りて来てくれた。手ぬぐいで頭を鉢巻にして、T嬢に助けられながら尾根に上がった。その尾根には赤布があることをT嬢が確認している。
 
尾根に上がっても暫くは落ちたショックで身体が震えていた。二人に僕の荷物を分担してもらい、暫く歩いていると気持ちも落ち着いてきたが、平常心ではなかったと思う。自分の足元しか見ていなかったのだから。

雪も消えたころ、時折T嬢が振り返り、道は間違いないか、と確認する。見覚えのある尾根なので、間違いない、とそのまま下る。

しかし、T嬢が「赤布が見つからない」と言い始め、あたりを見回したが、ヤハリ赤布は無かった。地図で現在位置を確認したが、あたりは真っ白いガスに覆われて遠望が効かなくなっていた。

それまで足元しか見て歩いていた自分に気がつき、トレースを外れた事にそのとき気が付いた。

下る方向を東に取る。左下のほうには鹿島集落を流れる鹿島川と広い河原が見える。が、どのあたりの河原か判然としない。東へ東へと歩き、尾根を、といっても小さな尾根=後で調べたら尾根の襞と思われる、その襞も人間にとっては尾根に見える=を三つくらい越えて二つ戻った。

下に青い屋根が見えてきて、鹿島部落に違いない、と思いひたすらその青い屋根をめがけて降りた。足元が悪いので、後ろ向きにピッケルを土にさしながら下った。雨が降り始めて来た。標高は1300mくらいか。

休み休みと現在地確認を繰り返しながら徐々に高度を下げていった。途中で留守宅のNobさんに携帯電話を入れる。

青い屋根の隣に沼が見える。エリアマップで確認すると、「鹿島槍ガーデン」の釣堀であった。我々が降りている尾根は鹿島集落の狩野氏宅から登る尾根の一つ北側の尾根であることが分かった。

やがて沢の合流点の雪渓を越えて杉林、神社を超えると目の前に「鹿島槍ガーデン」の建物が道路横に建っていた。

T嬢が荷物を僕の分まで多く持って良く先導してくれ、また、ヨーコさんが僕の荷物の持ってくれたりして助けてくれた。3人で励ましあいながら無事降りることが出来た。午後6時であった。

(タイム)
種池山荘発(06:40)・・・爺ヶ岳南峰(07:40)・・・爺ヶ岳中央峰(07:50)・・・矢沢ノ頭(08:35)・・・幕営地(10:10~10:45)・・・鹿島槍ガーデンへ下山(18:00)

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■滑落事故に対する分析
なぜ、雪面を行かず藪にはいったか。前述の文章を再掲しますと、以下の通りです。
「1450mから1500m付近にさしかかり一箇所、雪面をくだるか、藪に入るか躊躇した。雪面はまだ急斜面で左側(東側)に落ちている。藪に入ったほうが安全に思えて、藪に入った。」

雪面は左側(東面)に傾斜していて、腐った雪のトラバース。それを嫌って藪に入った。これが第1の失敗のもとと思う。

第2は尾根ではない事が藪を下っているときに判った。通常、それなら、元のところへ戻るのが鉄則。なぜそれをしなかったか。左をみると直ぐに尾根に戻れそうであったので。

これが最大の失敗である。「判らなかったら元へ戻る。」これを守らなかった。

そのため、濡れた熊笹に足をとられ、つかまっていた熊笹もザックを背負っている体重を支えることは出来なかった。

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■道迷いに対する分析
道迷いの大きな原因は、事故のためパーティ全体が平常心を失った、と思われる。(失ったと思わなくても失ったのであると思っている。)

事故後、谷筋からあがった尾根は正規ルートである。(T嬢が赤布を確認している)

しばらく尾根沿いを下りながらT嬢がこれで間違いないか、と何度か僕に確認している。

見覚えがあったように思えたので、間違いない、と返事をして、そのまま下った。

自分の身体と頭がしっかりしていたつもりであったが、事故後のショックが続いていて、どこかで確認を怠ってしまったようだ。しかし、見覚えがあったと思うのは錯覚であった。

狩野氏宅へ続く尾根の一つ手前の尾根に踏み込んでいった。

赤布がない、と気が付いた時点で苦しいかもしれないが、登り返して元の所へ行くべきであった、と反省している。そのときは、戻り返すことさえ頭に浮かばなかった。事故後の後遺症であろうか。

道迷いの典型は間違えるまでは思い込みで行動し、間違いに気が付いた後は、迷走である。前述の文章にそれが表れている。

「下る方向を東に取る。左下のほうには鹿島集落を流れる鹿島川と広い河原が見える。が、どのあたりの河原か判然としない。東へ東へと歩き、尾根を、といっても小さな尾根=後で調べたら尾根の皺と思われる、その皺も人間にとっては尾根に見える=を三つくらい越えて二つ戻った。」

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■反省と今後の対策
滑落、道迷い。幸い滑落によって骨折や大事故にならずに済んで安堵している。一歩間違えば、大捜索活動ともなったかもしれない。

 「これは、あぶなそうだ。」と思う瞬間があると思う。今思えば、ヤブに入るときにそんな思いが一瞬頭をよぎった。

そのときは、面倒かもしれないが、深呼吸でもして、荷物を下ろして、安全を確認してから、一歩を踏み出すことが大事ではないか、と思う。多少の手間を惜しんだばかりに大きな事故に遭ってしまった。

今後については、地図読み、地形判断、赤布の存在の有無、高度計による標高など、常に把握しておく必要があることから、もっと地図とコンパスを使う場面を多くする必要があると思われる。そうすれば間違えた所に踏み込むこともなくなると思う。

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■ 今後のために

  1. 今回地図に対する大きな過ちがあった。それは、爺ヶ岳、鹿島槍は2.5万図では、「白馬町」「神城」「黒部湖」「十字峡」の4枚の地図が必要である。地図をつなげてコピーをとったが、鹿島川を入れると、爺が岳、鹿島槍が中心にコピーされない。そのため、鹿島川の蛇行や「鹿島ガーデン」の認識が遅れた。

    必要部分の拡大図等も必要だが、周辺の様子も地図読みには必要であることを痛感した。今後は2.5万図は周辺も含めて、地図は持参すべきだと思う。

  2. 装備として、各自スリング長2本、短2本、カラビナ3枚および協同装備6mm×40mを用意した。荒井が滑落した後、救出に役立った。T嬢がもっていたので、役にたった。
  3. 高度計(ウオッチ内臓)で標高が分るので、どのアタリにいるのか、という判断材料にとても役に立った。が、高度計には誤差が当然であるが、最小限の誤差にするには、最低でも朝、標高の判る地点で、高度を合わせて置くべきだと思う。それでも誤差は生じるのだから、合わせておけば、最小限の誤差で概定できる。
  4. 怪我をしたときなどのために真水はとっておく。傷口を洗浄するのに真水500ccが役に立った。安全圏に着くまでは、真水は極力保存しておいたほうが良い。
  5. 「山では何が起こるか分らない、何が起こっても不思議ではない」ことを思えば、なんにでも対応できる装備が欲しい。
    例えば、ロープ、バイル、プーリー、ハンディGPSなどなど。が、「装備はある」にこしたことはないが持参装備の重量増につながり、どの辺で折り合いをつけるかが常に課題となる。手持ちの装備で救助活動ができるトレーニング(今回は使用しなくて済んだが1:3法によるセルフレスキュー技術など)も必要と思われる。

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■ T嬢から見た事故報告はこちら(PDF版)

■ 感想(ヨーコ)
紆余曲折があったがGW山行が爺ヶ岳に決まった。年末の雪辱が果たせるか?

爺には是非とも登りたい、そしてチャンスがあれば鹿島槍も。鹿島槍は私の憧れの山、何回かトライして未だ一度も登ったことが無かった。

年末山行の時と3月の八方尾根から眺めた鹿島槍は荘厳で私の心は震えた。その鹿島槍の頂に立つことが出来、私はもうルンルンだった。竜少年さんが種池山荘に泊まろうと言って下さって、食事も美味しく頂き睡眠も充分取れて下山は快調だった。

爺ヶ岳からの下降も竜少年さんの後をしっかりと付いて行った。緊張はしたが不安は全く無かった。テントの撤収時、シュリンゲとカラビナを身に付けるよう指示があった。雪が解けて危ない箇所では後ろ向きで下ったが、そういうところでは竜少年さんは必ず私が下り切るまで見ていて下さった。

何回かそんな場所を通り過ぎて藪の中に入った。「あ、ここは来る時は通らなかったな」と思いながら竜少年さんの後を歩いていた。竜少年さんが左の尾根に向かってトラバースして行った。あんな崖をトラバースするんだと思いながら見ていた。

竜少年さんが滑った。目前を凄い勢いで落ちていった。とても長い時間だった(ような気がする)。静かになったので木につかまって覗きこんでみると遥か下方はずうっと雪渓だった。あの雪の下の谷底まで落ちたと思った。

T嬢が来た。「竜少年さん、落ちちゃった」と私が言った。T嬢は「私は大丈夫なので降りてみてくる」と言ってそのまま降りようとした。私は「ロープ出して、Tちゃんが滑ったら私は二人を助けられないよ。」と叫んだ。T嬢が大声で「竜少年さ~~ん」と叫ぶと「おう~」と返事があった。「大怪我ならあんな大声は出ないから大丈夫よ」とT嬢。

良かった、生きている。T嬢がロープをセットして下降開始。私はT嬢の指示通りに動いた。救出に2時間半位かかったと思う。(私が驚くといけないと思ったのでとにかく顔中の血を水で流した、と後から聞いた)。

尾根に出た。T嬢が先頭、私がラストで歩き始めると竜少年さんの足元が覚束ない、私から見ても竜少年さんが歩けるとは(その時は)思えなかったのでT嬢に「荷物を分けよう」と言った。(自分は全く担げないくせに)。

T嬢が重いものを担ってくれた。私はかさばるけど軽いものを。それから暫くして道に迷ったことが判った。

尾根を求めて右に左にと歩くうちに私が遅れだした。それからの竜少年さんは本当に凄かった。おそらくご自分の負傷のことは頭に無かったでしょう、ご自分はどうなっても、と。地図を何度も確認し、T嬢に指示し、私が追いつくと「ヨーコさん、僕のせいでこんなことになってごめんね。」と何度も言われた。

歩けそうなところを捜しながら先頭を行くT嬢も私を気遣って大声で励ましてくれた。「僕の荷物を返して」と言われ私は素直に返した。今、私がばてたら大変なことになると思ったのでとにかく自分のことだけを考えた。

掴むことの出来るものは全て掴み、無い時は後ろ向きでピッケルを刺して降りた。それでも何回も転倒した。現在地が判明し、竜少年さんが「もう大丈夫だ」と言ってゆっくり下っていった。平地に着いた。

竜少年さんが私とT嬢を抱いて「ありがとう」と言った。私は泣いた。涙が止まらなかった。

(ヨーコ)


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