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奥秩父 和名倉山

 学生時代は奥秩父、とりわけ雲取山には足繁く通ったが、そのたびにどっしりとした山容の和名倉山には心が惹かれて、いつかは登りたいものだと思っていた。その後はクライミング中心の山登りが続いたので足が遠のいていたが、数年前から山登りを再開してからは、3回ほど登頂を目指したものの、未だに登頂を果たしていないままであった。



■3月29日(土) 曇り
 今回は2日行程でもあるし、まさか登頂できないことはあるまいと、1日目の午前中は途中の三峰ボルダーでボルダリングを楽しんで、二瀬ダムには3時頃にようやく着くというスロースタートであった。
 地図から判断すると、登山道はダムの橋をわたったところから右へ行くようであったが、右の道は厳重な柵によって通行が遮断されていたので、やむをえず左の道を行く。道は沢を横切るところで消え、急なガレ場を登っていくことになる。

 ぐんぐん高度を上げて、さきほど渡った橋が小さくなり、対岸の三峰の高度に近づくころに二瀬尾根から東に伸びる支稜に達する。そこから先は雪道の登りとなり、しばらくして二瀬尾根と合流する。あたりはすっかり暗くなってきたのでツエルトを張って食事の準備にとりかかる。

 ここで、予備用のガスカートリッジに間違って空のカートリッジを持ってきてしまったことに気づく。食料計画を急遽変更するが、明日はほとんど水分をとれないことを覚悟してシュラフカバーに潜り込む。

■3月30日(日) 快晴
 本日の行程は長いので、2時半に出発する。
 無雪期でも入山する人はまれな山域なので、この時期にはもちろんトレースはないが、登りが続くので暗闇でも迷うことはない。

 寒さで雪も締まっているため快調に進んでいくことができる。だが明るくなって雪がゆるんでくると、表面はクラストしているものの、体重をかけると踏み抜いてしまって膝から股まで潜るようになるので、体力と時間を消耗するようになる。おまけに登り一辺倒から下りも混じるようになると、テープや標識は皆無のためルートファインディングが難しくなって地図と磁石とのにらめっことなり、非常に時間がかかるようになる。

 それでも12時前には頂上直下まで達することができ、このあたりになるとテープも現れるようになって多少は進路がわかりやすくなったが、頂上は稜線から東に外れたところにあって分岐の標識もないので迷いやすいところである(前回は無雪期であるにもかかわらず、頂上の脇を素通りしてしまった)。
 稜線と別れて頂上を目指し、標識はないものの鉄柱の立っている小高いところを頂上とみなして稜線に戻る。

 ここから奥秩父主脈まではトレースされているのではと淡い期待をいだいていたが、ところどころに獣の踏跡があるだけであった。
 道はますます潜るようになり難行苦行が延々と続くこととなる。食料はビスケット数枚とアメを残すだけである(ザックには食えないアルファ米はあったが)。空腹に耐えながら夕方には東仙波まで達し、奥秩父の主脈まではあと一歩となった。振り返れば仙波の笹藪が夕日に照らされて実に見事な眺めである。奥秩父の峰々がはるかかなたまで見渡されて、余裕のある山行ならば雪山の気分を満喫できるところであるが、今は一刻も早く主脈まで到達したいという気持ちでいっぱいであった。

 最後は主脈上の鞍部を目指して斜面を巻いていくのであるが、トラバースする地点がわからず少々あせる。今にも消えようとする薄明かりの中にかろうじてテープを発見してトラバースを始める。ズボズボ潜ってしまう長い長いトラバースで、全行程中で一番疲れるところであった。

 主脈には19時半に到着。だが主脈上にもトレースはなく、エスケープに考えていた多摩側の一ノ瀬へ降りる尾根道も全く判然としない。磁石とにらめっこしながら南へ向かうも、尾根は消えて沢へ下っていくようになる。地図から判断した限りでは悪場はないと思われたので、この沢を強行突破することに決めた。

 やがて水流が現れたので、たらふく水を飲んで、喉の渇きを癒し空腹をまぎらわす。予想どおり悪場のない沢ではあったが、相変わらず潜るので行程は捗らず、0時を回って翌日となっていたが、依然として林道まで降りることができない。朝から連続22時間の行動ではあるが、体力的には徹夜で歩いていくことも可能ではあった。ただ、こんな時間の青梅街道ではタクシーは拾えるはずはないので、もうひと晩ビバークすることとし、ツエルトを張って、水を思い切り飲んでから濡れたシュラフカバーに潜り込む。

■3月31日(月) 晴れ
 数時間の仮眠後、4時に出発。冷え込みで雪も締まってきてだいぶ歩きやすくなっており、1時間ほどで林道に降りることができた。そこから靴をジョギングシューズに履き替えて青梅街道目指して駆け下ると、1時間ばかりで青梅街道に出たが、バス停の丹波まではまだまだ遠い。
 ところが通りかかった車に合図をしたら乗せてくれることになり、長かった歩きからようやく解放されたのは実にラッキーであった。



■感想
 念願の和名倉山の登頂も実現でき、これで奥多摩から奥秩父にかけての主な山と稜線はほとんど歩いたことになるが、まだ沢となると甲武信の東沢以外はほとんど手つかずの状態である。夏になったら手始めに雲取の谷にでも行ってみようか・・・(記 vibram)

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