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奥秩父 ランニング登山

野辺山ウルトラ100キロマラソンを約1カ月後に控えて、そのトレーニングとして過去二度挑みながら登頂を果たしていない和名倉山を目指して奥多摩からかもしか山行を行うことにした。
 全長距離は60キロを優に越え、ハセツネカップ並のハードなコースである。全く同じコースを昨年12月にも試みて、時間切れで途中断念したが、今回は時間的にも相当余裕をもたせており、トレーニングも十分積んできたので、失敗する要素を探す方が難しかった(のはずだったのだが・・・)。



■4月13日(夜)~14日
 夕方、御岳に立寄り、久しぶりに忍者返しをトライ。ニ手目のスローパーは50%の割合で保持できるようになったが、核心であるスローパーから右のカチへの飛ばしがどうしてもできない。

 岩から離れて見てると、ほんの数十センチ右へ手を伸ばせば届くように見えるが、実際に岩に取り付くと絶望的に遠く思え、絶対に取ってやろうと気持ちが萎えてしまって、おざなりに手を伸ばすだけなので失敗しているということに気づく。

 ムーブ上の問題としては左手の引き付けと右足への荷重が不十分であることもわかった。だが、わかってることと出来ることとは大違いである。

 そのうちに握力も衰え、あたりも暗闇につつまれてきたので、クライミングシューズをザックにしまう。今回は極端に軽量化を図っており、クライミングシューズなどは邪魔なのであるが、翌日の午後は秩父側へ降りて三峯ボルダーを登るつもりなので、あえて余分な荷物を担いでいくことにする。

 奥多摩駅近くのコンビニで食料を買って、石尾根登山口を出発したのが夜8時丁度。前回と違い、今回は最初の登りから快調に走り出すことができた。さすがに急な登りになると走ることはできず、早足に切り替えざるをえなかったが、雲取山までは急な登り以外はだいたい走ることができた。

 雲取山到着が午前1時半。登山口から5時間半である。当初予定では4時間であったが、急な登りを歩いてしまったことと、途中の平坦部分で危険防止のためスピードを出せなかったため時間がかかったようである。それでも前回は7時間弱であったので、かなりのスピードアップである(因みにガイドブックのコースタイムは9時間半となっている)。

 山頂で小休止の後、主脈を西へ向かう。山頂直下の岩まじりの急斜面は前回は夜が明けていたため駆け下りることができたが、今回は深夜のため安全第一と慎重にゆっくりと下る。

 三条ダルミから先は比較的平坦な巻き道が続くので、ランニング登山には向いていると思ったのだが、実際は片側が谷に落ち込んだ細い道が多い上に所々は凍っていて、昼間ならともかく、とてもヘッドランプのあかりで走れる所ではなかったので、ゆっくり歩いていくことにする。

 そのうちに、雲取山までのハイペースの疲れも出始め、気分もダレてきたためか、古傷の捻挫の跡も痛み出してきた。前回、途中下山した北天のタルを過ぎ、飛龍山の分岐点あたりで夜明けを迎えたが、この頃から眠気ももよおしてきて、ランニングどころではなくなってきた。雲取山までは一応ランニング登山で頑張ったのだから、後は歩きでもよいから、和名倉山を登って秩父までの縦走というもうひとつの目的を果たそうと気持ちを切り替える。

 将監峠あたりまで来ると眠気も消え去り、気持ちのよい草原の道を景色を楽しみながら進んでいく。ほどなく和名倉山への分岐点である山の神土に着く(朝8時)。

 ここで初めて他の登山者と出会う。彼も単独であったが、私が食事している間にザックを背負って歩き始める。思いがけないことであったが、彼も和名倉山方面の小道へ向かっていく。あまり人の行かない和名倉山へ同じ時間帯に2パーティーも入ること自体めずらしいことである。私も今までのダレた気分が引き締まって、再びピッチを上げて先行者を追いかける。

 すぐに追いついてその後もハイペースで登っていったので、もう他の登山者を気にすることもなく自分ひとりの世界で山を楽しめると思って、腰をおろして食事をしていると、先ほどの単独登山者が通り過ぎていく。私の方がだいぶ先行していると思っていたのだが、和名倉山を登ろうとする篤志家だけあって、彼もなかなかの健脚のようであった。

 その後、彼とはお互いの休息時間中に抜きつ抜かれつという感じで進んでいった。おかげでピッチも上がり、もうそろそろ頂上間近かかなという頃になって、今までの登りから下りに変わっていく。変だなとは思ったが、一度鞍部に下りてから最後の登りになるのかなとも考えた。

 なにしろ、このあたりは深い樹林帯で展望が全くきかない上、持参したのが昭文社のエアリアマップで国土地理院の地図のようには等高線から高低を判読しにくいものだったため、そのまま緩い下りを前進してしまう。

 まもなく見晴らしのきく場所にひょっこり出て、後ろを振り返ってびっくりする。かなり高いところに和名倉山とおぼしき連山が見えるではないか。和名倉山は主稜線から少し離れたところにあるため、分岐点の印がどこかにあったはずであるが、それを見落としてしまったということか。

 最初に脳裏に浮かんだのはこの山行記録にどう書こうかということであった。3回目も登頂できませんでしたではシャレにもならない。ここから戻れば1時間くらいの登りになるであろうか。

 和名倉山は山梨県側から往復するのが一般的だが、私のように二瀬尾根を下って秩父側に下ろうとしている者にとって、ここまで下りてしまいながら、また登り返すというのは考えただけでもいやになってくる。体力的には余力はあったが、捻挫の古傷も痛むので余計に歩きたくはなかった。まあ今回の主要な目的がランニング登山にあるのだから、頂上は踏まなくてもよいのではないか。それにこのまま下山すれば、三峯ボルダーに立ち寄る時間もあるだろう。この痛む足では大して登れそうもないが見物するだけでもいいや。などといろいろと考えていると、さきほどの単独登山者が姿を現す。彼も分岐点が発見できず
にここまで下りてきてしまったようだ。私だけが間抜けだったわけではないと妙な安心感を味わった。

 彼はまだ和名倉山目指して前進しているつもりのようであったが、背後の山を指さして分岐点を通り過ぎてしまったことを教えてやると、山梨県側に車を置いてあるので戻っていく。果たして首尾良く登頂できたであろうか。

 後は二瀬尾根を秩父湖に向かって下りるだけである。インターネットの情報では1600メートルから1300メートルまでは藪が深いとあったので、本格的なヤブ漕ぎを覚悟していたが、道はしっかりしており、ただ道の両側にササが生い茂っているので道が隠れているというだけであった。要所々々には赤布もあり、藪山に慣れている者にとっては全く問題のない藪であった。「二瀬尾根も大したことないじゃん」とそのときは思ったのであるが…。

 藪を抜けたあと道は尾根を離れて1639メートルのピークを巻いていく。地図ではしばらく行くとまた左へ曲がって尾根へ戻るようになっているが、赤布はずっとまっすぐに支尾根を下りていく方に続いている。赤布がなければコンパスを出してみて方向がおかしいことに気づいたかもしれないが、なまじ赤布があったため、方向が変だなという気持はあったものの、そのまま前進してしまった(地図には迷いやすいことを示しているのか?マークがついている箇所であった)。

 対岸の道路とあまり大差ない高度であったことも、ほとんど下界までおりてきているという錯覚を与えたのかもしれない。赤布は涸れ沢まで続き、その先で消えていたが、あたりには割れたガラスビンとか缶類など人間が立ち入ったことを示すものが大量に散乱しており、人家が近いことを信じて疑わなかった。

 涸れ沢の下降を続けていると、何段もの滝を持った水量の豊富な沢に出会う。これだけの見事な沢というと和名倉沢かもしれないが、なぜ和名倉沢に下りてしまったのか、そのときは全く理解できなかった(今から考えると、二瀬尾根から続いた赤布は和名倉沢から二瀬尾根へのエスケープルート用のものかもしれない)。

 しばらくは沢に沿って高巻きをしながら下っていったが、そのうちに河原の木に赤布を発見。そこから踏み跡が上の方に続いているので辿っていくと伐採用の仕事道のようであった。伐採の人も空から下りてくるわけではないだろうから、どこか下界につながる道があるはずだと探し回ったが、仕事道は山の上の方へ続くばかりなのであきらめて河原に戻る。

 だいぶ時間をロスしてしまったが、時間はまだ3時半。昨晩から連続20時間近くの行動で疲れてないはずはないのだが、緊張感で疲れは感じなくなっていたし、捻挫跡の痛みも消えていた。その後も高巻きを繰り返しながら下降していき、対岸の道路よりもだいぶ低いところまで下りてきているというのに、一向に人家に近づく気配がない。もういいかげんにしてくれという気持ちであった。

 4時を回り、明るいちに下りられないのではないかと多少焦りも感じ始めた。沢はその先で大きく左に回り込んでいるため大高巻きとなる。ここの登りも下りもかなり悪く感じた。一瞬、クライミングシューズに履き替えようかとも追ったが、草つきのところもあり、運動クツの方がよいだろうということになる。とにかく怖れたのは疲労や睡眠不足から注意力が散漫となって浮き石や枯れ木をつかんで転落してしまうことだった。極度の注意力をもって、支点のチェックを慎重に行いながら登下降を続けて再び河原に降り立つことができた。

 それから、しばらく進むと踏み跡とも思えるようなところを見つける。進むにつれて、はっきりと靴跡も見極めることができるようになった。そして前方には橋、そのたもとにはテントが見えるではないか。今までも何度か岩を小屋と錯覚したことがあったので、目をこらして見たが間違いない。やれやれである。
 早速テントの住人に道路までの道を聞く。大洞川の本流を越える吊り橋を渡ってからの道路までの登りはきつかったし、バス停までの道も長かったが、精神的には気楽なものであった。

 ようやくバス停に着いたときは5時半近くになっていた。ついてないときはついてないもので、西武秩父行きのバスにタッチの差で乗り遅れ、三峯行きの最終バスまで1時間以上待たされることになった上に、午後は緊張感で何も食べておらず空腹だったが、日曜だというのに、レストランもドライブインも休みで酒屋でビールとつまみを買えるだけであった。まあ、その日のうちに無事に帰れたのだから、このくらいのことはよしとしましょう。



■ 感想
 連続22時間近くの行動であった。体力面だけでなく精神的な疲労も考えると、ハセツネカップをはるかに上回るハードさであった。トレーニングとしては充分な効果があったかもしれないが、山行として考えると反省すべき点は多数ありました。

 なかでも、要所々々での地図の確認が不十分なことが今回の沢下降という事態におちいった最大の原因である。先月の城山でもルート図の確認が不十分だったことを反省したはずなのに、今回も似たような過ちを繰り返してしまった。

 上越あたりの山ならばもっと慎重に対処したでしょうが、秩父ということで山を甘く見てしまった面があるかもしれない点も反省すべきです。いったん自然の中に入りこんだならば、どんなところにでも危険は潜んでいることをあらためて肝に銘じるべきです。

 それはそれとして和名倉山はどうも私とは相性が悪すぎるようで、今度いくとまたどんな困難が待ち受けているかもしれないので、もう行くつもりはありません。負け惜しみのようですが、近くに登りたくても登れない山が一つぐらいあるのもいいものです。
(記 vibram)

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