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北アルプス 前穂高・北尾根登高記

■8月5日 快晴

涸沢の幕営地を竜少年、富士丸、バーボン、Nobの隊列にて出発する。直ぐに5・6のコルへ続く雪渓に入り左端をひたすらコルを目指して登高する。

ガラ場の踏み跡を辿り徐々に高度を上げるに連れて涸沢カールを囲む穂高連峰が朝日に輝き美しい。

一汗をかいたところで反対側に奥又白池を望む5・6のコルに到着した。

この5・6のコルでハーネス等の装備を装着しいよいよ前穂高北尾根の登高開始である。

5峰へは尾根筋の右側の踏み跡をノンロープにて慎重に登高する。5峰の頂上に立つと目の前に4峰の大きな岩峰が聳え立っている。

既に先行パーティーが4峰をノンロープで登っている。この4峰をノンロープで登るのは大丈夫だろうかと不安がよぎる。

いよいよ4峰の登りであるが前を行くNobさんの動きについて行く。

最初は涸沢側の踏み跡を歩き途中から大きく奥又白側に廻り込み浮き石をチェックしながら何とか4峰に到着する。

3・4のコルから見上げる3峰も立派な岩峰であり、若い時にトレーニングに励んだ「鷲ヶ峰」(阿蘇・高岳北尾根)に岩質は異なるが大きさ・形が似ていると思った。

これから核心部の3峰の登高であるが先行パーテイが登高中のため順番待ちとなり1時間半程待つこととなる。

さあ、われわれの番だ。3・4のコルより10m程コンテで登り、しっかりした支点に確保を取りNobさんのリードで登高開始であるが、出だし早々確保の方法を間違え、Nobさんに大きな不安を与えてしまい申し訳なく思った。

1ピッチ目は直ぐ上部の大きな岩を廻り込み凹角状のところを登り込む。

記憶が曖昧だがNobさんのリードでチムニー状のところ、岩がしっかりとしたジェードル状のところとひたすら高みへの恐ろしさを殺しながら2ピッチ、3ピッチ、コンテ登高そして3峰、2峰に立つ。

2峰より前穂高岳の頂上に立つ多くの登山者が見える。2峰の先端の切り立った岩峰を10m弱の懸垂下降で下りロープを解いた。

そこからは歩きで頂上を目指す。やっとのことで前穂高岳の広い頂上に立ち4人全員それぞれ堅い握手を交わす。

自分にとっては30年振りの前穂高岳であり、それ以降登山から遠ざかっていた空白の期間があり、昔のこと・この山の会に入ってからのことなど様々なことが頭をよぎる。

先ずはこのパーティーメンバーでリードして戴いたNobさん、バックアップして戴いた竜少年さん、同行のバーボンさんに心より感謝したい。

この2月にインターネットで山の会のことを知り、58歳と言う年齢、30年間に及ぶ登山の空白期間、酒漬けのなまった肉体・・・等々と不安だらけであったが、2月18日(土)の新小岩での例会への初参加、室内壁でのトレーニング、伊豆ヶ岳・甲東不老山・高水三山のハイキング、三ツ峠山・Jヶ岳での岩登り、m3nbさんの道具選びでの良きアドバイス等と暖かく指導戴いたことが思い出される。


これで登高が終わった訳ではない、長い吊尾根を通して奥穂高岳が高く・大きく立ち塞がっている。

30年前の冬期に登った明神岳・東稜、同じく冬期に仲間と歩いた西穂高岳から奥穂高岳への稜線を懐かしく眺めながら吊尾根へと足を踏み出す。

吊尾根最低コルの少し先からは登って来た「前穂高北尾根」が雄大に見えた。

ひたすら登高を続け、やっとのことで今回の山行での最高到達点である奥穂高岳(3,190m)に到着した。
一休みの後、穂高岳山荘のある白出ノコルへ慎重に下る。

穂高岳山荘にて旧い山仲間が癌で入院生活を行っているので見舞いにと「Tシャツ」を求む。

くたびれた体に鞭を打ち最後の長い・長いザイテングラードを下り始める。

米粒の様な涸沢の多くの天幕がなかなか大きくならない。

それでも涸沢小屋の屋根が見える頃より再度元気を取り戻し、ヨーコさん・ミエリンさんの笑顔に迎えられ幕営地に辿り着くことができた。

12時間を超える長い・長いアルバイトの一日ではあったが北尾根を遣り終えたと言う充実感が沸いて来て大変に嬉しく思った。


■コースタイム
涸沢ベース(4:40)・・・5・6のコル(6:03~18)・・・3・4のコル(7:48~9:15)・・・前穂高岳頂上(11:40~12:10)・・・奥穂高岳(14:23~30)・・・穂高岳山荘(15:07~17)・・・涸沢ベース(17:00)


■感想 

今回登れた前穂高・北尾根は北九州の時に在籍していた小倉山岳会の先輩達(自分は入会前ですが)が昭和40年~41年(年末・年始)8峰より極地法にて前穂高岳に立ったことがあり、その様な経緯もあり今回の北尾根に連れて行って戴いたことを有難く思っています。


40数年も前の冬に多分碌な装備も無くあの3峰を登ったのかと感心した次第です。

この山行には当時の朝日新聞の記者である武田文男さんが同行し、当時の記事の掲載されている本(「山で死なないために」武田文男著/朝日文庫)が、今回の山行前に偶然見つけて購していたこともあり感慨深いものがありました。

その本のあとがきに「中高年も安心して登れる環境づくりを」と言うくだりがあり(平成2年6月24日記)、日和田山での中高年のクライムのこと、中高年や女性の間に登山熱が広がるようになると、これまで以上に安全対策がのぞまれるが、現実は正反対に動いているように思える。

--- 途中省略 ---

そして最後に

「山で死なないために」あるいは「山が死なないために」(環境問題)私たちは、どうしたらいいか、をますます真剣に考えなければならない時代に来ているように思う。

・・・と締め括っておられ、諸々と考えさせられた次第です。

又、翌日の横尾までの道すがら眺めた久し振りの屏風岩でも先輩達が情熱を注ぎ開拓した「東壁・青白ハング小倉ルート」も晴天の中に輝いて見えて嬉しくなりました。

10月には「59歳」と言う年齢にはなりますが、素晴らしい仲間の集う「岳樺クラブ」での楽しい時間を過ごすべく、もう無理は出来ませんが、それなりにトレーニングを積み精進して行きたいと考えています。

(記 富士丸)


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