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Khumbu Himal(クーンブ山群)トレッキング紀行



■日本出発から憧れのネパールへ

4月22日(日)

関西空港からは、快晴の瀬戸内海を、下関・長崎を経て東シナ海に至り、15:00上海に着陸する。乗客は少なく、一人でシートを3個倒して寝ている人も居る。約1時間のトランジットでカトマンズに向かう。

大陸の河の水は赤+黒+黄色のような色で、その河を行き来する船が大変に多く、運河が発達している。国土が平らで河に流れがないように見える。どこまでも平らだ。やがて雲上に出る。

18:00カトマンズに着陸。上空から見るカトマンズは赤茶色の山に段々畑が無数に出来て、山頂に達している。飛行機の右側の窓から目を凝らしたが、ヒマラヤの山々は見えず。レンガ工場らしき煙突から白い煙が昇っているのが見える。時差は3:15。空港は撮影禁止だ。

入国審査は簡単でカウンター(酒場のカウンターに似ている)に4、5人の役人らしき人が居てチェックを受けて外にでる。ビザもその場で発行してくれる。

もっとも、この日のロイヤルネパール便は四分の一くらいしか乗客がなくガラガラであったので、たいした時間もかからず発行してくれるが、発行希望者が多いと大変な時間がかかるらしい。自分たちのグループは事前に取得ずみである。

ゲートから外に出ると人がわっと寄ってくる。最初はなんだかよくわからないが、荷物を持たせてくれと言うことみたいだ。つまり迎えの車まで運んでチップをくれとのことだ。とにかくうるさい。危険を感じて自分はザックを全部身に着け背負って迎えのマイクロバスに歩き出す。

現地の旅行会社の方が迎えにこなければどうなることやら。バスに乗ってからも窓から手を入れてチップを要求する。

夜のカトマンズ市内のガタガタ道を15~20分バスにゆられてホテルチベットに入る。サーダーのマイラさんの紹介を受ける。

カトマンズ(Kathmandu)・ホテルチベット(Hotel Tibet)泊

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4月23日(月)

腹がへって目覚め7:30食堂へおりる。バイキングでトーストやクロワッサンがあるがジャガイモやミルクティがうまい。

現地旅行会社「コスモトレック」に出向いて打ち合わせを行う。サーダーのマイラさんも来ている。ホテルから歩いて15分、日本大使館の手前だ。紫色の花をつけた大きな木「ジャカランタ」やブーゲンビリア、ハイビスカスが美しい。

ただ、街は車の排気ガスで目が痛くなり、喉がガラガラになる。日差しが強くまぶしく、暑く、いらいらが増す。マスクがあると便利だ。

おんぼろの三輪車やタクシーが灰色の煙を吐きながら走り、前の車が止まると、後ろの車は警笛をけたたましく鳴らし、その音が非常にうるさい。また、牛が道の真ん中に寝そべり、車は避けてとおり、牛の糞がいたるところにある。

旧王宮の方にもどり「ヤック&イエティ」ホテルに昼食に向かう。約1000ルピー(注.1ルピー=約1.82円だった)のバイキングで大変においしく多種類のハム・パンからデザートまである。またビールもキリンには及ばないが「サンミゲル」という銘柄で、冷えているとまあまあ飲める。

王宮前の通りを過ぎ右に折れるとバザール(商店街)がある。本屋・カメラ屋・CD・登山用品・紅茶・帽子・マット・飲料水・衣類・果物・鍋・釜・刃物屋・両替・銀行・露天で地図を売っていたり、大概の物がそろうところだ。ホテルチベットからあるいて15分くらい。

飲み水はホテルの水でもヤバイらしい。ホテルの入り口のスーパーでミネラルウオーター1Lを15ルピーで売っている。このスーパーは外国人向けか日用品は大概そろう。ビール・ウイスキー・日本酒まである。ちなみに、トレッキング中ミネラルウオターは同じサイズで170ルピーとられる。

夕食は、コスモトレック会社の前にあるホテル・シャングリラで摂る。「モモ」餃子でなかなかにうまい。一流のホテルでも日本円で2000円も出せば、アルコールも含めて腹いっぱい食べられる。

カトマンズ・ホテルチベット泊

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■カトマンズからナムチェバザールへ
4月24日(火)

4:30起床。朝が早いため朝飯は弁当だ。5:15マイクロバスで飛行場に向かう。マイラさんが迎えにくる。

荷物は一人15kgに制限される。それは、ルクラの飛行場が工事中で小型機が飛ぶ事が出来ず、ラミダンダまでまず飛んで、ラミダンダからルクラまでヘリコプターで移動することになるため、ヘリの重量制限に引っかかるためだ。

カトマンズの国内線カウンターを通過し、20人乗りの小型機(Twin Otter DHC-6)に乗り込む。ナイフ・ライターの有無のチェックを受け、手荷物で持っていると取り上げられる。一応スチュワーデスが居て、キャンディと耳栓の綿を配ってくれる。これは、騒音が大きいということなのだろう。

操縦席が後ろの座席から良くみえる。意外とスムースに離陸し、35分でラミダンダ飛行場に着く。飛行方向左側に座ると遠くヒマラヤが望めるということだが今回は雲が多く近くの山しか見えない。

窓の下は赤土色の山肌にへばりつくように段々畑があり、そして木がまばらに生えていて、森のイメージはない。高い尾根に家か小屋があるが、下から上がるのも大変だろうし、水などどこから得るのだろうか。

やがて窓から見下ろしていると下に小さな未舗装の飛行場が見える、こんなところに飛行場があるのかなんてと思っていると、それがラミダンダであった。砂ほこりを舞い上げ着陸する。滑走路が1000mあるかなしかの飛行場でそこからヘリでルクラへまた飛ぶことになる。

ラミダンダで初めてヒマラヤ襞を身に着けた山が遠望でき、身震いをおぼえる。ヌンブール(Numbur 6969m)だ。ようやくにヒマラヤに来たことを自覚する。滑走路の端にヘリを待つトレッカーがグループごとに固まっている。欧米人の姿が目立つ。

荷物の目方をそれぞれ量るため台秤が2個あり、ヘリに乗せる重量を70Kg/人+15Kgで計算とのこと。2時間近く待ってようやく搭乗となる。3機のヘリでピストン輸送。約10分でルクラに着く。

ルクラ(Lukla 2827m)の飛行場は、新しく造り直されており、7月には完成予定とのことで、舗装された立派な飛行場になるようだ。飛行場の端から10分程歩いてバッティ(茶店)に入り、昼飯をたべて、いよいよトレッキングの開始となる。

11:00パグディン(2652m)へ向かって出発。石ころの道を下る。荷を積んだゾッキョとそのふんとバンブーバスケットを頭から背負ったポーターとトレッカーとがひしめき、ほこりが舞い上がる。日本人のトレッカーもいるが欧米人が圧倒的に多い。行列になって歩くというような状態だ。「ナマステ(おはよう・こんにちは・こんばんは)」や「ハロー」が飛び交いにぎやかだ。

街道は、道幅が2~3m有り歩き易く、奥多摩のハイキングと考えてよい。日差しは強く、サングラス・日焼け止めクリームは必携だ。日陰に入ると涼しい。バッティはいたるところあり、「茶(ミルクティ)」がうまい。

歩いて疲れた身体には結構いける。ポーターは50Kgくらいの荷を竹の籠に入れて、その重量を頭にバンドで支えて、背負う。太い杖を持ち籠の下にあてがい休憩し、バッティでは石積みに荷を預けて休む。昔縦走のとき「一本立てよう」と休憩を促したときと同じだ。途中ヒラリーさんが作った学校などが遠望できる。

パグディン(Phagding 2652m)泊。

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4月25日(水)

6:00「グッモーニングサー」と熱い紅茶がベットに届けられ、やがて洗面器に湯が配られる。バッティの窓から隣の屋根のタルチョ越しに岩肌に雪を抱き雲がたなびく岩峰が望める。

7:30出発。トレック中に飲むお湯を水筒・テルモスにつめる。ドート・コシ河(Dudh Kosi)にかかる長い吊橋をわたり右岸の道をゆく。水は青白く濁り、岩をかんで、激しく流れ、冷たく見せる。

ベンカール(Benkar)で渡り返しモンジョ(Monjo)を通過して、ジョーサレ(Josare)にて昼食となる。オムレツ・スープ・蒸かしジャガイモだ。大体200ルピー/名くらい。

川原まで下り右からのドート・コシ河の本流に架かる吊橋をわたると急な登りとなり、ナムチェ・バザール(Namche Bazar 3430m)にいたる。約3時間の急な登りだ。

途中茶店の跡に立ち、運良く天気がよければエベレストが遠くに頭を見せるが、あいにく小雨が降り傘をさしての登りであった。昨夜同じバッティ泊りで、車椅子の青年が4・5人のポーターに担がれて追い越してゆく。

ゆっくり、ゆっくり(ビスターリ・ビスターリ)と自分たちも登る。富士山の8合目付近を登るのと同じようで、まだ、高度障害はあらわれていない。

途中、「Entrance Permit」を支払う。昔で云う関所であり、軍が管理している。撮影禁止だが、Tさんがフラッシュをたき小銃を持った兵士に囲まれトラブルになりかけるが、ポーターのハストライさんの説得で無事通過となる。

ナムチェ・バザール15:15着。馬蹄形のすり鉢状の山腹に家がへばりつくように建つ村で、エベレストへの最初の高度順応基地だ。自分たちも2泊の予定だ。建築中の家は、石を削ってきれいに角をとり積み上げる。入り口と窓となる部分に角材で枠を作る。2階の部屋からコンデリ(Kongde Ri 6093m)が眼前にせまり歓声をあげる。

ナムチェ・バザール(Namche Bazar 3430m)泊

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■ナムチェバザールからクムジュン
4月26日(木)

今日は高度順化のため3800mのエベレスト・ビュー・ホテルまで散策となる。

8:00出発。ミリタリー・エリアの先の展望広場まで上がると「エベレスト(Mount Everest 8848m)」「ローチェ(Lhotse 8501m)」「ローチェ シャー(Lhotse Shar 8383m)」「アマ・ダブラム(Amai Dablang 6856m)」「カンテガ(Kang Taiga 6685m)」「タムセルク(Tramserku 6608m)」と展望できる。とくに後の3山は迫力を持って迫る。

ヒマラヤ襞・懸垂氷河、白い雪をかぶり、陽の光を照り返し、余分な雪は削ぎ落とし、青くひかり、神々しく、鋭く紺碧の天空に突き立っている。

自分はきっとこの光景を生涯忘れることはないだろう。1時間近く展望を楽しみ、写真を撮ってホテルに向かう。

一旦下り又1時間近く登り返すと、エベレストビューホテルに着く。山の天気はどこも同じで、10:00を過ぎると雲が出てローチェ・エベレストは雲隠れする。ホテルで昼食をとり、ナムチェに引き返す。ホテルのテラスから明日の予定のタンボチェ・ゴンバ(Tengpoche Gonda 3867m)の屋根が深い谷をへだてて遠望できる。

ナムチェはバザールと言うくらいだから、お店屋や露天の店が多い。マップと帽子を買う。帽子は150ルピーを100ルピーに負けさせ、マップも1200ルピーを900ルピーにし、カトマンズと同じ価格となった。

郵便局もあるし、登山用品を売る店も多い。平らな道がなく狭い坂道ばかりだから、早く歩くと息が切れる。また、糞も多く、気をつける。

ダイヤモックスと言う呼吸促進剤を服用する。この薬は、酸素の少ないところで寝ているときに、平地の呼吸数では酸素量が足らなくなるの防ぐために、呼吸を促進させる薬であるが、夜中に小便の回数が増える作用があり、痛し痒しである。

ナムチェ・バザール泊

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4月27日(金)

7:30出発。素晴らしい天気だ。10分も登ると山々が迎えてくれる。道端にはさくら草やあやめの原種など小さな花が現れはじめる。

女性たちは撮影に大童である。左から張り出した尾根を越えるごとにエベレスト・ローチェが近づき、アマ・ダブラムが少しずつ形を変える。

ビューポイントが続く。道幅もひろく、快晴の天気で快適なトレッキングが約束され、足の運びは軽くなる。

迫力あるヒマラヤの山々の連なりが目前に迫る。望遠鏡で見るエベレストは南東稜がはっきり見え、山頂から雪煙が上がり、強い風が吹いているのだろうか。この道が正にエベレスト街道と言うのだろう。その名にふさわしい。右はるか下にドウトー・コシの流れをみて快調に歩む。

サナサ(Sanasa)を経て、プンキ(Phunki 3250m)で昼食となる。サナサはゴーキョ(Gokyo)方面の分岐点だ。赤い石楠花が満開である。赤は他の色に比べて早く咲くのだろうか。このあたりから石楠花が出迎えてくれる。

満開にはまだ時間がかかりそうだが、ところどころ白やピンクや真っ赤な花をつけている。サナサの手前では石楠花のトンネルでさぞ満開の時はすばらしいだろう。石楠花街道という。

プンキは河の近くで、サナサから続いた下りはここで終わり、ここからタンボチェまで登りとなる。テント張りのバッティでの蒸かしたじゃがいもは、味塩をつけても、マヨネーズをつけても、バターをつけてもうまっかた。

チュド(水車・経文を納めた円筒を時計回りに、まわす信仰用のもの)がかたかた音をたて、前の流れにゾッキョやヤクが水をのみに立ち寄り、それを追い立てる牛飼いの口笛が鋭い。

12:55プンキを出発。タンボチェ(Tengpoche 3867m)に15:15着く。

林の中を急な登りが続き、ビスターリ・ビスターリだ。ひょいと上を見上げるとタンボチェ・ゴンバの門が見え、到着となる。

立派なゴンバで、前の広場には馬やヤクやゾッキョが草を食んでいる。宿泊予定地を変更して、約30分程下ってデボチェ(Deboche)まで足をのばし、石楠花ロッジ(ラリーグラスロッジ)に泊まることになる。名前はかっこいいが、山小屋だ。

夜は寒くストーブが恋しい。シュラフにカイロを入れると、下着だけでも寒くはないが、夜中小便に起きる時に面倒くさい。トイレはすべて外だから。

夕食に海苔巻がでて感激する。味は日本食に似て、大概の食事は満足した。トレッキング成功のコツはコックの選定と高度順化にあるのかもしれない。コックのアガムさんに感謝したい。

デボチェ(Deboche)泊

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4月28日(土)

ここで又も高度順化のため1日滞在する。タンボチェゴンバを見学に出かける。40分程登りゴンバを見学し、隣のエコセンターでマニストーン(石のお守り)や絵葉書を買う。

快晴のゴンバ前の広場に陣取り、エベレスト・ローチェを心行くまで眺める。望遠鏡みるエベレストは、イエローバンドまではっきり見える。

日差しは暑いが紅茶を飲みながらの展望は至福の一時だ。広場の右から「タムセルク」「カンテガ」「アマ・ダムラム」「ローチェ」「エベレスト」「ヌプチェ(Nuptse 7879m)」と最高の展望広場である。

ゴンバ裏側に「加藤保男」のモニュメントが建ち、エベレスト・ローチェが遠望できる。5年前にエベレストトレッカーが13名雪崩で遭難したマチェルモ(Machhermo 4410m)もサーダーのマイラさんから教えてもらう。午後自由行動となり、昼寝をしたり、ひげを剃ったりした。鼻の下を伸ばすつもりで剃り残す。

デボチェ泊

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4月29日(日)

7:45出発。ミリンゴ(Milinggo)8:30着。パンボチェ(Pangpoche)9:40着。ショマレ(Shomare 4040m)11:30着。ディンボチェ(Dingpoche 4300m)15:30着。

緩やかな登りが続くが、4000mを越える頃から体が重くなり、頭ががんがんしだし、食事をしても吐き気が多少する。頭痛薬をもらって早々に寝る。寝ていても頭が痛い。

今回のトレッキングでは、この地が最終目的である。石垣で囲まれた畑が連なり、小屋が建つ。住居兼ロッジ兼レストラン兼ゾッキョ宿泊所。

村の北西に水が出てそこから飲料水をプラスティックの石油缶に入れて運んでくる。麦・ジャガイモ・そばしか取れないとのこと。荒涼とした台地に開けた村落で、東側にローチェ・チョーポル方面から川が流れ、ここからエベレストは展望できないが、アイランドピークが正面に、遠くはマカルーが左手にローチェが雲をたなびかせて聳え立つ。

ディンボチェ(Dingpoche)泊

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4月30日(月)

今朝外を散策しているうちに頭痛はおさまり、食欲もでる。予定を変更してシャンポチェからヘリでカトマンズまで帰ることになり、このディンボチェで2泊することになった。

天気は朝から曇り空であったが、5200mのピークまで散策のつもりで出かけるが、皆は4500mで満足し、帰ることになった。自分は何処まで行けるか試そうとマイラさんと5200mを目指したが、4880mで彼が帰ることを促したのでそこから引き返した。

バッティから見えるピークで、5200mまではまだ1時間半はかかるとのことであった。午後から雪が降り出し、彼は天候が気になり引き返したと思う。

夕方雪が激しく降り出し寒くなりストーブを燃やすが、燃料はヤクの糞で匂いと煙でいぶりだされそうだ。

日本の学生が迷い込んで来る。アイランドピークに登るとのことであったが、登山準備もなく、翌日猛烈な高山病に襲われナムチェまで下っていった。

ディンボチェ泊

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5月1日(火)

昨夜の雪も止みいい天気となった。8:00出発。昨日登った丘からのすばらしい眺めを満喫する。正面に「アイランドピーク」左手に「ローチェ」が圧倒的な迫力でせまり、右手遠くにマカルー(Makalu 8475m)アイランドピーク(6100m)とマカルーの間にチョーポル(Cho polu 6734m)の正三角形の姿が見える。
旗のたなびく草原にて 雲にかくれているのはタムセルクとカンテガ

この丘からカラパタール(Kala Pattar 5545m)方面は荒涼とした風景が続きエベレストベースキャンプ・カラパタールへは右の山すそを巻いてゆく。

昨日まで一緒に抜きつ抜かれつ、ここまできた広島山岳会の連中はエベレストベースキャンプへ向かった。ヒマラヤの真っ只中と言う感じで、写真撮影に大わらわである。ペリチェ(Pheriche 4243m)を経てショーマレ(Shomare)11:00着。デボチェ15:00着。

デボチェ泊

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5月2日(水)

高度順応に成功し、平地と同じ脈拍数になった。7:30出発。プンギ9:30着。サナサ12:00着。14:00サナサ発。15:00クムジュン(Khumjung)着。

タンボチェからの下りで、登ってくる日本人の団体とすれ違う。「こんにちは」と声をかけたら、通り過ぎて、後ろから「あら日本人だわ」なんて声が聞こえる。自分の髭も大分伸びたし、サングラスをかけて、帽子を目蓋にかぶればネパール人に見えるのか。

彼等は、エベレストビューホテルで2・3泊して、タンボチェまで往復するだけのトレッキングなのだろう。クムジュンは周りを山で囲まれた台地に開けた村落で、病院や学校もある。

我々が泊まったバッティも今回の中では一番上等なバッティに思える。かの「植村直己」さんが、高度順化のために3ヶ月滞在した村であり、他の村と比べると垢抜けした感じがして、きれいにみえ、クムジュンホテルと銘打った小奇麗なホテルもみられる。電気もあり部屋にライトが灯り、各バッティはライトアップされている。

今夜でポーター達とお別れとなるので、食事後ビールやウイスキーを飲みながら、歌やシェルパのダンスに合わせて飲んで歌って踊ってとにぎやかに過ごす。マイラさんおおいに踊る。

自分も彼等の踊りの輪に加わり、楽しくすごした。彼等の歌は永遠に続くのではないかと思うほど繰り返し繰り返し同じメロディーで歌う。踊りも型がなく鳥が舞うようなしぐさである。全体に明るいう歌声で合唱する。

クムジュン(Khumjung)泊

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■クムジュンからカトマンズへ戻る そして帰国
5月3日(木)
7:10クムジュンを出発。7:50シャンポチェ(Syampoche)飛行場に着く。シャンポチェまでの間に小さな丘を越えるのだが山々を見たのはこれが最後であった。シャンポチェもラミダンダ同様未舗装の飛行場で、3年前右側の山麓に小型機が衝突する事故があってからはヘリしか飛ばないようだ。

シャンポチェからカトマンズへ直行(チャーター)のヘリによるフライトとなり9:00の予定を待つが12:50の出発となった。ソ連製の20人くらい乗れるヘリで、カトマンズまでの45分がずいぶんと長く感じられた。

騒音と揺れで生きた心持がしなかった。雪のある山の山頂付近を真近に通過し、急に方向変更したため、一瞬墜落かと思う。がたがたの揺れがこわかった。雲の中を通過するときは、霙が機体に当たる音がガガガガーと物凄い音をたて、心配性の目がさめる。搭乗してしまえば、後はどうしようもないことはわかっているのだが。

カトマンズ空港では、ヘリで降りたところから滑走路を歩いて横断する。のんびりしたものだ。すぐ脇を小型機が離陸のためスピードをあげて通りすぎる。マイクロバスでホテルチベットに入り、シャワーをゆっくり浴びて10日間の汚れを落とす。

ホテルチベット泊


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5月4日(金)
ホテルチベットのフロントを連れ出して王宮近くの店に紅茶の買出しに行く。途中10月ナヤ・カンガの登山を考慮してランタン谷の地図を購入する。

歩いて帰る途中雨に会う。雨季が始まったらしく、昨夕もスコールがあった。これがほんとなら我々はついている。トレッキングはお天気が勝負だから。

夕食は、マイラさん、コックのアガムさんを招待して、近くの中華料理店に集まる。いろいろめずらしい話を聞いたが、ゾッキョはレンタル(500ルピー/日)であること。帰りのヘリのパイロットはネパール人とロシア人であったことなどなど。

ホテルチベット泊

5月5日(土)

「華」で昼食後、マイクロバスにて市内観光に出かける。案内役はマイラさん。

パシュパティナート(Pashupatinath) ヒンズー教寺院でバグマティ川に面し、ガートと云う火葬場があり、2体の荼毘にあう。一体は焼いている最中で、太い薪の上で焼け焦げ、上半身裸のおじさんが太い竹棒で焼け具合を加減していた。

あと一体はきれいな布につつまれこれから丸太の上に乗せられようしているところだ。急に泣き声が聞こえ出し、「泣き女」の習慣を思い出す。川はごみためのようなドブ川で、灰になった遺体はその川に流されるとのこと。石橋の上流は、王族関係者、下流は一般と場所がちがうらしい。しかし、暑さと異臭でそうそうに退散した。

スワヤンブナート(Swayambhunath) 大きな目玉が描かれているストーパ様式の仏教寺院。猿が多くモンキーテンプルとも呼ばれる。カトマンズいやネパールというと観光写真にでてくる例の名所である。マニ車が連なり仏様が祭られている。

カトマンズ市内が一望でき、天気の良い日はヒマラヤも見えるというちょいとした高台にある。今日は街全体にスモッグがかかり、周囲の山もろくに見えない。街全体が赤レンガ作りの住宅が多いのかレンガ色の印象が強い。

バザールへまわったが、喧騒、暑さ、匂いでいやになりホテルにかえる。

21:00ホテルからマイクロバスで空港へ。

チケット発行まで1時間半、出国審査が1時間、持ち物検査はすべて「ノー・ノーナッシング」。出発まで2時間と、待ちに待ってようやくにテイクオフ。薄暗い蚊が飛び交う待合室で待つのは辛抱がいる。

遅れる事に一切の説明はなく、関西空港からの乗り継ぎに心配したが、上海には寄らずに直接関西空港に飛んだ。結果的には日本での時間は予定通りとなり、20:00に酒々井に無事帰宅できた。もっとも、乗客のほとんどが日本人で、欧米人が数人いた様子。200人位の乗客かな。

機内の座席が後ろに倒れず、パーサーと一緒に頑張ったがダメであった。結局碌に寝る事もできず、関空に着く。

機中泊

5月6日

関西空港からはJASに乗り換えて羽田に30分遅れで到着。京急電車にて帰宅。

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■今回の行程
ネパールとの時差は3:15

  • 4月21日(土)

    アワズイン阪急・JR大井町駅前・5500円。30分間隔で羽田へ駅前からバスがでる。約30~40分

  • 4月22日(日)

    羽田発7:30 JD-513 関西空港8:45着。関西空港発12:30 ロイヤルネパール RA―412 カトマンズ18:15着。上海に寄る。空港から出迎えのマイクロバスでホテルチベットへ。

  • 4月23日(月)

    カトマンズ滞在。バザール、ヤック&イエティホテルでの昼食、華での夕食

  • 4月24日(火)

    カトマンズ→ラミダンダ 20人のりの小型機 約35分。ラミダンダ→ルクラ 7人のりのヘリ 約10分
    トレッキング開始。パグディン泊

  • 4月25日(水)

    ナムチェへの本格的な登りあり。ナムチェ泊

  • 4月26日(木)

    高度順化のため、散策。展望広場・エベレストビューホテル。ナムチェ泊

  • 4月27日(金)

    タンボチェを経由して、デボチェへ。タンボチェへの本格的な登り。石楠花が色とりどり。デボチェ泊

  • 4月28日(土)

    高度順化のため、タンボチェ散策。ゴンバの前広場からの展望はすばらしい。望遠鏡があると尚いい。晴天ならトレッキングの目的ははたせる。デボチェ泊

  • 4月29日(日)

    4000mを超える日。急な登りはないが、ビスターリで行かないと歩けない。着いてから頭痛がひどくなる。樹林帯を抜けると荒涼とした高原となる。ディンボチェ泊

  • 4月30日(月)

    ナムチェからカトマンズへヘリでの直行と変更になったので、この地へもう一泊。4500mの丘へあがる。自分は4880mまで登ってみた。ディンボチェ泊

  • 5月1日(火)

    ペリチェを経由し、デボチェへ下る。ペリチェ手前の丘からの展望はすばらしい。ショーマレの橋を渡ってから、石楠花の林が続く。デボチェ泊

  • 5月2日(水)

    タンボチェ・プンキ・サナサを経てクムジュンへ。登って下って登ってといささかくたびれた。クムジュン泊

  • 5月3日(木)

    シャンボチェ飛行場へ。ロシア製の古いがたがたヘリでカトマンズへ。今度の行程中一番怖かった。カトマンズ泊

  • 5月4日(金)

    コスモトレックへ打ち合わせ。打ち上げ食事。買い物。カトマンズ泊

  • 5月5日(土)

    カトマンズ市内観光。ロイヤルネパール航空 RA―411便 26:00カトマンズ発 関空11:00着。上海に寄らず直行となる。機中泊

  • 5月6日(日)

    関空から伊丹に移動し、伊丹15:35発 羽田16:40着 京急経由で20:00帰宅


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■トレッキング中の食事
カトマンズは、ホテルチベットの近くに日本食レストランが2軒ある。「華」「菊」で、華はうどん・てんぷら・天丼などあり、菊はトンカツ(鶏肉)が主体である。

かつどん・定食などだ。ともに日本人がいて会話には困らない。華では「ふきのとう」がでたり季節感もある。

さて、肝心のトレック中の食事だが、サーダーやコックに日本人向けの味付けができる者が付くと最高にうれしい。食材は違っても味が口に合うからである。

今回のトレックでうまかったものは、じゃがいいもの蒸かしたもの(味塩、マヨネーズ、バターを付けて食べる・日本から持参)・オムレツ・スクランブルエッグ・パンケーキ・おかゆ・おじや・ハンバーグステーキなど。

まあーうまいとおもったものは、野菜炒め(水牛の干した肉が入っていた)・うどん・のりまき(マイラさんが日本人から覚えた)など。

飲み物はバッティでの「ミルクティ」が一番うまく安い。バッティでの食前食後ではいつでも紅茶・コーヒー・ココアが飲めるように支度してあるが、たっぷり砂糖を入れた紅茶がベストだ。

水はミネラルウオーターを飲んだ方が安心(お腹に自信のある人は別)だが、買うならミルクティの方が安い。

1週間もすれば腹が減ったときはなんでも食えるようになる。ただ、自分は油かと思うがお腹にあわず、2日ほど下痢ぎみになり、薬の世話になった。以後お腹に関してのトラブルはなかった。

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■衣類・靴・嗜好品・必携品・薬・そしてポーター
衣類

ハイキングの服装・帽子(現地購入可)・防寒衣(セーター・羽毛・フリース)・靴下(予備3足・自分は絹の5本指と厚手の靴下)・下着(上下でオーロンなど速乾性の物)・雨具・こうもり(ディンボチェで雪が降り寒かった時は、雨具を着て防いだ。)

洗濯は高度順応日に可能だ。ロープと洗濯バサミがあると便利だ。トレック中自分は下着を一度しか取り替えなかったが、不快感はなかった。



トレッキング中は、トレッキングシューズが最適(あたりまえだが)。カトマンズ市内の観光とは別の靴が良い。

ザック

ダッフルバックは口が大きく開いて出し入れが容易で使い易い(トレック中はポーターが持ってくれる。カトマンズの登山用品店で安く買える。1000円位)

トレック中のザック(自分で背負うザック。10L。カメラ・雨具・こうもり・望遠鏡・水筒などを入れる)

嗜好品

(日本から持っていったら良いと思う物)
梅干・のり・味塩・塩昆布・キャンディ・マヨネーズ・ふりかけ・お茶漬けの素・醤油・餅・お吸い物・味噌汁・羊羹・チョコレート・ごま煎餅・かりんとう・日本茶・漬物・バター・

必携品

マスク・フィルム(多めに)・手帳・筆記用具・マップ・電卓・ガイドブック・簡単な会話集・高度計・サングラス・歯ブラシ・ドライシャンプー・髭剃り・洗濯紐・洗濯ばさみ・石鹸・ウエットティッシュ・ロールペイパー・ビニールシート・鏡・櫛・使い捨てカイロ・ホテルに預ける袋(大きめ)・コンパス・ナイフ・使い捨てライター(ただし、飛行機の持ち込みは手荷物ではなく預ける荷物にいれること。手荷物だと取り上げられる)・テルモス・水筒・ヘッドランプ及び予備電池・歌の本

カトマンズのホテルで…スリッパ・パジャマ

クレジットカード(どこでも通用するカードであること)



下痢止め(ワカマツ)・頭痛薬(バッファリン)・腹痛・リップクリーム・ダイヤモックス(呼吸促進剤・旅行会社で手配してくれる)・日焼け止めクリーム・せき止め・体温計

ポーター

今回の「サーダー マイラさん」は約17年間ネパールに来た日本のトレッカーや登山者と共にして、食事の味を勉強したとのことであった。

将来は日本食のレストランを開きたいとのことでした。クライミングポーターと言うか、クライミングシェルパと言うか要するにクライミング志向ではなくコック志向なのだ。トレックには最適なサーダーと感じた。

登山にゆくなら又違ったサーダーが必要かもしれない。

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■トレッキングを振り返って
「ヒマラヤ」ってどんなところかなという思いと、また、漠然と世界で一番高い山を見てみたいという思いが以前からあり、小林さんの誘いに応じた。

ラミダンダで初めて雪の冠った山を目にしたときは震えがくるようであった。特にナムチェの展望広場から観たヒマラヤの山々はたぶん生涯忘れる事はないと思う。

紺碧の天空に突き出た峰は神々しいと形容できる。青く光る懸垂氷河は、神秘的だ。ヒマラヤ襞は傾斜が急峻であることを物語っている。圧倒的な迫力で迫ってくる。

ディンボチェで泊まったバッティの前庭にて

タンボチェからのエベレスト・ローチェの姿も忘れる事はできない。雲が風下に湧き上がる姿は、強風、恐れ、凄さを連想させる。

名の知れた山に登る事は難しいが、6000m位のやさしい山なら登れる可能性はあるかもしれない。このクーンブ・ヒマール地域で登るならアイランドピークだろうか。

トレックなら1ヶ月かけてカラパタールからゴーキョを周ることは可能だろう。クライミングスクールで城が崎のサンセットエリアに行った時に感じた気持ちと同じようだ。登る事に対して圧倒される。

実際はクライミングシェルパによってザイルがフィックスされ、ユマールとかで自分を確保しながら登る事
になるのだろうが、やさしい山なら可能性はあるだろか。

今はなにがなんでも名のある山に登ってみたい気持ちはない。山の様子は大体わかった。今後いろいろ研究しながら登れる山を捜すのも良いかもしれない。



参加者 9名(男子4名・女子5名)

(注)文章中の外国語は「Nepal-Kartenwerk der Arbeitsgemeinschaft fur vergleichende Hochgebirgsforschung Nr.2」からによる。

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