創立に寄せて

ひとりの男のつぶやきから、山の会「岳樺クラブ」の歴史は始まった・・・
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 30代後半から40代前半は年代的社会的、家庭的にもなかなか山に行くことが叶わない時期でもある。会社では一人で会社を背負って立ってるような気持ちだったし、また、山の仲間も同様で、あれほど激しく山へいってた連中も一人、二人とメンバーが揃わなくなっていった。

 そんなこんなで山から遠ざかった一時期があり、ゴルフなんぞにうつつを抜かしていた時期もあった。が、心のどこかで何かが違う、といつも思いながら過ごしていたように思う。

 そんな時たまたま山へ行く機会があって心と体が自然に動いたように思った。これだ、やっぱり山だ。俺にはこれしかない。と。なんだか啓示を受けたような気がした。今まで何をやっていたんだろうか。もっと早く気がつくべきだったと。

 ところが、数年山から遠ざかっただけで、登攀の方法などもより安全性が追求されたものへと変貌しつつあり、道具もキスリングの類いからシステム化されたものへと代わっていた。少なからずカルチャーショックを受けたものだった。
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 さて、一緒に行く人は…それがなかなかいなかった。昔、一緒に山に行ったメンバーに声をかけても、「ハイキングなら」「ゴルフなら」としか返事が返ってこなかった。

 しかし、私の気持ちはもう、山しかなくなってきてしまっていた。『山が逃げてしまう』と…それからは以前にも増して山に傾斜していった。

 剱の雪と岩、一の倉の垂直の壁、北アルプスの雪稜を思い浮かべて、昔日と同じに、とはいわないが少しでも近づいてみたいと。ハイキング、温泉、花の山行、それはもっと歳をとってからでも出来るのではないか。身体の動く今のうちに行きたい山に行きたいのだ。

 それなら山岳会にと考えてみた。 しかし、ちょっと名の通った会は先鋭的なグループとハイキンググループに分かれていて、中年はどこへ行ってもその第二のグループでしかなかった。先鋭派になるには、若いこと=体力、それに実績を積んで最低2~3年はかかる。私にはそんなに時間がないし、若くはない。
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 いっそのこと自分で作ろう。山岳会を・・・

40代、50代以上の人でも酒と温泉ハイクで満足している人ばかりではないはず。最先鋭でなくても、しかしハイキングを越えた領域の山行を望んでいる人がいるに違いない。 そういった人達と登ることが出来たら・・・

しかし、勤務の合間を縫っての山行では見つかるわけはない。三人寄れば山岳会どころか私一人だ。一人山岳会である。

 一人山岳会では山行にどうしても限りがある。せいぜい丹沢の易しい沢や5月の鹿島槍や、年末年始の南アルプスの甲斐駒ヶ岳、仙丈岳、北岳等にテントを担ぎ上げ、ピストンするのが精一杯である。やはり一人は一人であって所詮、加藤文太郎にはなれないことがよく判っただけだった。

 そんな時、30年来の山仲間であるOさんから、彼が所属していたハイキングクラブの谷川蓬峠~谷川岳のガイド役を頼まれた。
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その山行では、Hさん、Mさんらともと知り合って、その後彼らとはフリークライミングで一緒に登る機会を得た。後からYさんも参加してくれた。夏山縦走をHさん、Oさん、それに私の3人で計画し、北アルプス後立山連峰を縦走してきた。

 独りよがりの「一人山岳会」は解散しても良さそうだ。この方々となら一緒に山へ登れる。ハイキングを越えた山行が出来る。既存の山岳会にはない会に出来る。小さくても山椒のピリピリと効いた山の会ができると思った。

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 山の会の「力」って何だろうか。自分で計画し、実行出来る会員が多くいることではないだろうか。会の山行でも、山の高低、ルートの難易にかかわらず自分がリーダーでなくても、自分がリーダーだったらどうするか。と考えられるメンバーがいることだと思う。
 この会にはそんな人材が揃ったと私は思う。

 アルピニズム草創期から登られているいわゆるクラシックルートの登攀、雪稜登攀や日本アルプスを舞台に春の雪稜縦走が出来るような会になりたい。そんな力を付けたい。ついて行くのではなく何時でも自分がリーダーの気持ちで山行出来る会にしたい。

 その後、幾人かの仲間が賛同してくれ、ここに山の会「岳樺クラブ」が発足した。
さあ、有名、無名の峰々に、ヨーロッパアルプスのモンブラン、マッターホルン、アイガーにわが「岳樺クラブ」の旗を立てようではありませんか。

 最後に、この山の会「岳樺クラブ」は、山の高き、低き、ルートの難易に関わらず、常に安全を肝に銘じ、必ず無事下山する事が絶対条件になっていることを再度確認しておきたい。

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岳樺クラブ 代表 竜少年